才能がある人なんて居ない。唯一あるとすれば、それに興味を持つ才能があるだけの話だ。
私は、天才と人のことを呼ぶのが嫌いです。
なぜなら、多くの場合の天才の使い方が、努力しないで出来ることを褒めている意味で使われているからです。
私はこの使い方はなくしたいと思っています。
なぜなら、その人に失礼だと思うからです。
失礼というのは、その人の努力を見ないで、結果だけを見て判断していることに関してです。
しかし、過去の記事にも書きましたが、人の評価なんか間違っているのが当たり前だと思っています。
だからと言って、その人の人生を否定することにはなんとしてでも反対という立場を取りたいと私は思っています。
私は、努力をしないで出来る才能はないと思っていますが、唯一あるとすれば、そのことに興味を持ったという才能はあると思っています。
例えば、プロのサッカー選手がサッカーに興味を持ったことに関しては、多くの人がいう天才の使い方を私は使いたいと思います。
なぜなら、例えば興味を持ったのがある試合をテレビで見たことだとしたら、同じ試合を見た人の中でも興味を持った人と持たなかった人は現れると思います。
そこで興味を持てるということは私は天才だと思います。
しかし、そこからの努力に関しては、当たり前ですが、やらないと上手にはならないですし、なにもしないでプロになれるわけではないです。
私も幼い頃は、サッカーをやっていたのでその気持ちがよくわかります。
この様に、天才と才能の使い方をもう少し良く考えてほしいと思います。
私も他の人より少し得意なことがあったときに、才能あるんだね、と言われるたびに少し怒りの感情が出ます。
他の人がぼっとしている時間や無駄なことをしているときに、私はこの努力をしているのに、才能という言葉だけで片付けられたくないと思ってしまいます。
もし人を褒めてあげるときは、そこまでの努力もしっかり褒めてあげてください。
Kei