私の人生の正義~なるべき姿がここにある~
人生は思いもよらないところで変わることがある。
それは、私自身がそうだったからだ。
14歳のとき、1つの本を手に取ってから、世界は目まぐるしく変わった。
いや、世界は何も変わっていないかもしれない。
しかし、私から見える景色は、何もかもが希望に満ち溢れていた。
私は日本の教育が嫌いな方の部類である。
だから、N高という道にも進んだし、いわゆる普通とはかけ離れた高校生を送っている。
みんなと同じことがあたりまえであり正義である。
それは、本当に個性を育む場なのだろうか。
私の考えとしてはNOだが、世間の考え方はYESなのだろう。
だから未だに、全日制の高校に通う人が多いのだろう。
ただ、私は全日制の高校に通っている人が悪いと批判するつもりはまったくない。
高校生は、義務教育を卒業したとはいえ、未成年であることには間違いなく、それが良くも悪くも本人以上の影響を与えてしまっていることは明白だ。
では本当に教育というのは、今のままで正しいのだろうか。
私個人としては、今のままでいいと思うが、社会全体としたら、変わらなければならない。
これが私の結論です。
この理由について、記事にしたいと思います。
私個人としては、今のままでいい訳
私は努力をして成果を上げた人が簡単に認められる国が日本だと思っています。
それは、日本という国が素晴らしいわけではなく、周りが弱すぎるからです。
今の教育の最大の成功は、賢さの平均が低いところにあると思っています。
賢さというのは、学力だけでなく、その人の能力的なものを数値化したものです。
賢さの平均が50だとしたら、70にいる人は、なかなか日の目を浴びないと思います。
しかし、今の日本の賢さは平均が30くらいのような気がしているので、70の人がどんどん勝ち上がれるゲームになっているのです。
スタートアップについての話ですが、同じような話をレオス・キャピタルワークスの藤野さんがおっしゃっているのでそちらも見ていただきたいです。
簡単にまとめると、海外ではこのくらいの成果では他の人に負けてしまうようなものでも、日本だったら簡単に上位に食い込めてしまうということです。
だから、他と違うことをやって、ある程度の成果を出せば、簡単に周りから認められてしまうのです。
それが、今の教育のメリットだと思います。
しかし、難しい問題もあります。
社会全体として考えたら、変わらなければならない訳
日本全体を考えたら、優秀な人の中でさらに優秀な人を見つけることのほうが、未来を考えたときには大切だと私は思っています。
当たり前ですが、先程の70という賢さの人が、世界で戦えるわけがないのです。
世界に80や90の人が少しではなく、ゴロゴロいるわけで、そこに乗り込んで制することが出来る人などいるのでしょうか。
もちろん、ゼロとは言いません。
世界で活躍する日本人も沢山いますが、それを定期的にではなく、立て続けに出せるかが鍵になるのです。
正直今のままでは、無理だと思います。
ではなぜ、世界と戦う必要があるのか。
私は戦っても、戦わなくてもいいと思います。
しかし、日本で生まれ才能を持ち合わせた子が、教育のせいで潰されてしまうことだけは防がなければならないと思っています。
しかし、まだ私には力も影響力も、何もない。
だから、私は成功者にならなければならないと15歳のときに思うようになりました。
しかしそれは、私がお金持ちになりたいわけでも、ワーキャー言われたいわけでもなく、これから先に生まれてくる未来ある子の人生をなんとしてでも守らなければならないと思ったからです。
それが出来るのは、10年後、20年後になるかもしれない。
しかし、自分を犠牲にしてでも、守りたい人生がある。
そんな希望を胸に、これからも成長し続けたいと思うばかり....
Kei